ピーク時には年間88万人が来館
ユニークなミュージカル仕立てのショーや巨大な水槽をおよぐ魚たちが魅力の神奈川県三浦半島にある京急油壺マリンパーク。

これまで、のべ2400万人が訪れるなど、多くの人たちに愛されてきた。
3歳の娘と来館した父親:
水族館といえば、やっぱりここのイメージが強かった。
3歳の息子と来館した母親:
私は幼稚園の遠足で来て、最後にこどもに見せたいので来ました。

マリンパークが開館したのは1968年。光に吸い寄せられる魚の習性を生かすなど工夫に富んだ展示が反響を呼び、ピーク時には年間約88万人が訪れる人気の施設に。
コロナ禍が追い打ちに…
しかし、レジャーの多様化や、付近に他の水族館ができたことで、徐々に来場者数が減少。リニューアルの話もあったものの、コロナ禍が追い打ちをかけ、老朽化した施設の維持が困難に。9月末の閉館が決定した。

一方で、5月の閉館の発表から、来場者数は増加。コロナ前のおととしの同じ時期と比べても、およそ2倍となった。
マリンパークは、ペットと一緒に訪れられることも魅力の1つ。
犬を連れてきた人:
行こう行こうと言っていたんですけど、いざ行こうってHPを見たらしまっちゃうってなっていて慌てて。
中には、親子3世代で訪れた家族もいた。
母:子どもが生まれてから頻繁にくるようになった。
祖母:残念よね、本当に。
「閉館で離れるのは本意ではないです…」
閉館を惜しむ声が上がる中、ひときわ強い思いを抱いているのが、40年にわたりこの水族館で働いてきた館長の中井武さんだ。

中井館長:
学校を卒業してからずーっとこの道一筋でやってきましたので、閉館ということで離れるのは本意ではないです。
中井さんは、1984年、国内では当時珍しかった「キタイワトビペンギン」の飼育をはじめて担当。当初は苦労の連続だった。

中井館長:
お客さんが円陣くんでいて、何をやっているのか見てみるとペンギンが逃げ出して、まわりにお客さんが囲んでいたって事がありまして。
逃げ出した7羽のうち5羽はすぐ見つかったものの、残りの2羽はなかなか見つからず・・・
中井館長:
海行っちゃったのかなと思って青ざめたんですが、気がついたらここの天井をよじのぼっていたんです。
野生のペンギンを、試行錯誤しながら飼育した中井さん。ジャンプ力に長けたキタイワトビペンギンは、隣のウミガメの水槽に飛び移り、ウミガメの背でサーフィンをしていたこともあったという。


1987年には日本で初めての人工繁殖にも成功。マリンパークのキタイワトビペンギンは、いまでは国内で最も多い繁殖数を誇っている。
閉館後、ペンギンたちはどこへ…
気になるのは、そうした彼らの今後のゆくえ。

ペンギンたちは、飼育員とともに国内の別の水族館への移動が決まっていて、ほかの動物たちも、順次、全国の動物園や水族館に引き渡されるという。
中井館長:
動物たちと離れるのは本当に寂しい限りなんですけど、動物たちの新しい生活場所と、職員の再就職先をきちんと見つけることが私の最後の務めだと思っています。

マリンパークは閉館するが、多くの人の思い出に残ってきた動物たちは、これからも全国各地で、元気な姿を届けてくれる。
(イット! 9月19日放送より)
(フジテレビ報道局 ニュース制作部 市原 璃音)
"油" - Google ニュース
September 21, 2021 at 05:30PM
https://www.fnn.jp/articles/-/242072
「最後に子供に見せたかった」京急油壺マリンパーク 30日に53年の歴史に幕…ペンギンと試行錯誤の日々 支えてきた人々の思い - www.fnn.jp
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